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ヴェルフ1世 (バイエルン公) : ミニ英和和英辞書
ヴェルフ1世 (バイエルン公)[う゛ぇるふ1せい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [よ, せい]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 
: [こう]
  1. (n,suf) prince 2. lord 3. duke 4. public 5. daimyo 6. companion 7. subordinate

ヴェルフ1世 (バイエルン公) : ウィキペディア日本語版
ヴェルフ1世 (バイエルン公)[う゛ぇるふ1せい]

ヴェルフ1世(Welf I., 1035年/1040年 - 1101年11月6日/9日)は、バイエルン公(在位:1070年 - 1077年1096年 - 1101年)。ヴェルフ=エステ家の祖。ヴェルフ家ではヴェルフ4世と呼ばれる。父はエステ家の祖でエステ辺境伯アルベルト・アッツォ2世・デステ、母はヴェルフ2世の娘クニツァ。異母弟はエステ辺境伯フォルコ1世
1055年、母方の叔父のヴェルフ3世が亡くなり古ヴェルフ家が断絶すると、その後継者として祖母のイミツァに招聘されてヴェルフ家の新たな当主となった。1062年バイエルン公オットー・フォン・ノルトハイムの娘エテリンデと結婚したが、1070年に義父が神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世に謀反の罪で追放されるとエテリンデと離婚、ハインリヒ4世からバイエルン公に任命された。
しかし、ハインリヒ4世とローマ教皇グレゴリウス7世叙任権闘争で争うとグレゴリウス7世に就き、1077年3月にシュヴァーベン公ルドルフ対立王に擁立した。結果、ハインリヒ4世にバイエルン公の地位を追われ、バイエルンはハインリヒ4世が直接統治することになった。1089年に長男のヴェルフトスカーナ女伯マティルデ・ディ・カノッサと結婚させて教皇派との連携を保った。しかし1095年にマティルデと離婚、翌1096年にハインリヒ4世と和解し、バイエルン公位を取り戻した。
1097年に父が高齢で没した後に、異母兄のフォルコ1世と遺産を巡って争った。1101年の十字軍に参戦、帰途でキプロス島で没した。遺体はヴァインガルテン修道院に埋葬された。
== 子女 ==
1062年、バイエルン公オットー・フォン・ノルトハイムの娘エテリンデと結婚したが、1070年に離婚した。子供はいない。
1071年フランドル伯ボードゥアン4世の娘ユーディト(トスティ・ゴドウィンソンの未亡人)と再婚、3人の子を儲けた。
# ヴェルフ2世(1072年/1073年 - 1120年)
# ハインリヒ9世(1074年/1075年 - 1126年)
# クニグンデ(? - 1120年)

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ヴェルフ1世 (バイエルン公)」の詳細全文を読む




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